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カピバラになりたい

 free categoryの理解がいまいちである.freeでない,ということが何をもたらすのか,それがわからないと色々厳しそうだ.計算機科学で扱うものの多くがfreeであり,それが計算可能性にも関わっていることを知り,なんだかわかったような,わからないような.進捗は相変わらずだが,こういうふわふわした感じが結構心地よいので,手ごろな長さの丈夫なロープをホームセンターに買いに行ったりはしていない.ちなみに,ロープをかけるのに具合のよい木の枝の目星はつけてある.

 ここ数日,人間との言語コミュニケーションをまともにとっていなかったために,自分が人間であることに自信が持てなくなりつつあった.妙な表現だが,本当にそんな感じである.が,今日は3時間ほど立ち話をし,「人間っぽさ」のようなものを少し思い出した.私にとって,「人間っぽさ」というのは日々の積み重ねにより獲得されるもののようである.「人間っぽさ」の獲得に日々の努力が必要なんて,実は私は人間じゃないのかもしれない.ていうか,実はカピバラだったりしたらいいなあ,などと思わないでもない.カピバラとして日がな温泉に浸かっていられたなら,もっと幸せに生きることができるのではあるまいか.ああ,カピバラになりたい.いや,むしろ,俺がカピバラだ.きっとそうだ.そういうことにしておきたい.是非.

 さて,3時間ほど立ち話をしていたわけだが,実は立ち話をしているわれわれの半径30cm以内には十分な数の椅子があった.しかし,相手は椅子に座ろうとするそぶりも見せない.相手は,社会的経済的政治的に大変まっとうな方であり,かつ私の話相手をする程度に人間が練れた人生の先輩である.奇特な方である.そんな人が座らないのであるから,私としても座るわけにはいかない.というか,今書いていて気づいたが,むしろ先輩に椅子をすすめるのが礼儀ではなかったか.これだからワナビーカピバラな三十路はダメなのだ.まあ相手もあんまり話に乗り気じゃないかもと思ってすすめられなかったのもあるけど.ともあれ,3時間の立ち話という,人類史上それなりに繰り返されてきたであろうが,私史上それなりに珍しい事象が発現した.3時間の立ち話から得るものは大変大きかったが,足腰の衰えを痛感した.以前であれば,これくらい楽勝とは言わないまでも,そこまで疲れはしなかったのであるが.やはり運動不足の三十路はだめだなあ,と涙がこぼれないように上を向いて家路についた.

 いい加減,運動習慣を取り戻さなければならない.あみじゃがをムシャムシャしている場合ではない.が,その前にとりあえず足腰に癒しを与えたい.温泉に行きたい.そして,やっぱりカピバラになりたい.湯けむりのなかで,ただ目を細めるばかりで微動だにしない,カピバラになりたい.