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神エクセルあるいは反知性主義の極北

 年度の変わり目には様々な書類を処理する必要があり,例によって残念なつくりのExcelファイルを目にする機会も増える.Excelというソフトウェア自体に罪はないのかもしれない.しかし,現代の日本社会において,神エクセルが反知性主義の極北であることは間違いない.
 要するに,データの再利用を真面目に考えていない人が神エクセルを生み出す,ということなのだろう.それにしても,ただこれだけのことでこんなにも流布するものだろうか.何かもっとヤバい原因があるのではないか.当初は神エクセルを毛嫌いしていても,長期的に神エクセル調教を受けることで神エクセル堕ちしてしまうとか.「ア゛ア゛ア゛アアアセルケツゴウキモヂイ゛イ゛イ゛」みたいな.
 最近では神エクセル問題がメディアで取り上げられるようにもなってきたし,徐々にマシにはなっていくのだろうけれど.

三十路のおじさんの感傷が今日も電脳空間に放たれる

 なんでもない話を書こう.

 と,思い立ってキーボードに手をかけたものの,とりたてて書くことがない.「〜がない」というぐらいだから,「〜はある」とか続けると文章のリズムがよいわけだが,生憎とネタがない.だいたい今の私には何もないのだ,とか感傷的なセリフを書くのをやめようかと思ったけど書いてしまった.こうして,三十路のおじさんの感傷が今日も電脳空間に放たれる.「垂れ流す」などというとどうにも汚らしいが,「放たれる」というとどこか清清しいような気がする.まあ,どう言い繕ってもやっていることは同じである.なお,「放つ」を用いて主体を明らかにしていないのも重要である.金も暇も将来もない三十路のおじさんは,往々にして無責任なのである.さて,ここまでの文章が含む情報量は極めて少なく,極めて三十路のおじさんの感傷である.極めて,の使い方がどうにもおかしい.まさしく,あたりが適当か.しかしそんなことはどうでもよい.とにかく,三十路のおじさんの感傷が今日も電脳空間に放たれる.これを情報汚染という.さっきそう決めた.

 さて,なんでもない話について書こう.

 時々,なんでもない話をしたくなる.本当にどうでもいい話でよい.むしろ内容があってはいけない.下らない,しかし下品ではない話がよい.友人となんでもない話をした帰り道,信号待ちをしながら夜の街の音に耳をすませていると,心のこりのようなものが和らいでいることに気づく.なんでもない話は,ある意味,なんでもなくはないのだろう.